ビジネスの一環としての抗議活動

大陸は南方週末の一連の事件で本当に騒いでいるのか?
そうではないのか来週大陸入りするのでそれを見物するのが少し楽しみである。
一部の人生をかけた行動を出張ついでに傍観するなんて、ちょっと不謹慎かもしれないが、
僕の周りには幸い人生をかけた決断をバカラのカードを切るようにビシッとキメる友人知人も多く、その延長で今回の騒動を見に行く心構えだ。

僕のTwitterのTLには、「ここぞとばかりに」南方週末関連の現地のweiboのつぶやきをTwitterに転送したりする親切な方もいらっしゃる。なかには丁寧に日本語に翻訳してまでTweetしてくれる。
現地にいない人たちへ現地の南方週末フォロークラスターのweiboやTwitterを通じほぼリアルタイムで情報が世界中へクロスオーバーする。そんな世界も慣れてしまった今日この頃である。

どうして先ほど「ここぞとばかりに」と言った言葉を使ったかといいますと現地の情報から「今から大きなうねりが生まれそう!」「現地の記者&ライター魂ここに有り!」のような少々オーバーと思えるような情緒が混入したTweetが目立つ。

僕自身現在広州にもいないので何とも言えないが、多くのそして様々なヒエラルキーの中国人と接してみて個人的な意見を述べるとすれば

『現時点で多くの一般的な大陸人が言論の自由の為に血や汗を流すとは思えない。』

の一言につきる。

去年の反日デモを政府の民衆へのガス抜きと的外れな事を言い出すコラムニストもいたみたいだが、今回こそ現時点(2013/1/10)で政府の民衆へのガス抜きレベルのようにおもえる。

中国は言論の自由はないと言われているが、weiboでは結構共産党の文句をつぶやいているユーザーは多いし、今回抗議活動が行われている広州で記者として働いている方々はVPN等を使い、まるで国境際の河で両岸を自由に行き来する川魚の様に外の世界とつながっているだろう。

一般庶民にとって、大陸での言論の自由は『有る。と言えば有る。』国外の世界を観ようとする志のある人民であれば、余裕でVPNのアカウントを持っているし、weiboだって結構自由だと思う。当局がネットのつぶやきを消したのであれば、そこまでショックを受け立ち上がる中国人民なんて見たことない。まして、一度ネットで拡散した情報を根絶するには不可能である。
今回ストライキを打ったのは南方週末の記者や編集者との事だが、彼らはご存知の通り情報で金儲けをしていて、政府批判すれば部数のびるし(若しくは目立つし)自身や自分の業界のビジネスに直結するから、『言論の自由の錦の旗』をおっ立てて抗議活動を行っているのかなぁ。なんて思っている。


最近日本の反原発活動をしている方々を地元沖縄でみた。総選挙前だったせいか、『国民の殆どが反原発だー!』とか必死で訴えていた。
TVとかで取り上げられる東京の反原発デモも国民を代表したような振る舞いであった。しかし、実際は脱原発は選挙の一番のイシューにならず、選挙後急速に反原発デモも『政府になんでも反対』的な運動とあまり変わらない体になってきた。


そう。一部の立ち上がった人は実際に目立つ。現地にいない人たち、そして本人は自身の意見がマジョリティであるかに思えるだろう。しかしながら、実はそれが世間のマイノリテである事例は上記の反原発デモのようにあり得るわけだし、今回の南方週末の件では同じような匂いがプンプンする。
まぁ、広東省だからな。


そして今後、日本人が気をつけ対中関係を注視しなくてはいけない事柄は。
この南方週末から派生し全国で小さな抗議活動が発生した際、共産党が火消しにまわるため不満の矛先を尖閣諸島に強気に出る可能性等を注視すべきではないだろうか。

万里の長城で遭難

万里の長城で日本人のツアー客が遭難した。
北京郊外は大雪に見舞われ、遭難した方々に死亡者がでるほど深刻な状況です。


何を隠そう、ぼくも2003年の11月に万里の長城で遭難した経験がある。
今回の遭難事故のニュースを知った時。『こうやって無事に帰還したのもちょっとした偶然だったなのかなぁ。』と感じずにはいられないニュースだ。



今回の遭難場所は八達嶺という、長城の場所でも有名な場所でかなりの観光化がされ、十分安心して観光ができる場所だと認識していたのだが、秋も深まり大雪に見舞われた場合には一変して危険な場所に豹変してしまうのだと怖くもなりました。


ぼくが遭難した場所は『司馬台』という同じく長い長い万里の長城の中でも有名な観光名所である。
そして司馬台は観光地で有名であるにもかかわらず当時はあまり補修箇所が少なく、悠久で過酷な自然環下に晒されたボロボロの長城が見れるということでも有名でした。


当時、北京郊外内の綺麗な紅葉を見逃してしまった数人の友人と一緒に何故か紅葉を見に行く小旅行がなぜか万里の長城の司馬台へ行く事になりその流れで遭難してしまいました。(中国の紅葉も日本の紅葉と同じくらい綺麗ですよ)


司馬台に着き勿論、全然紅葉を楽しめなかったので、この小旅行の目的が『司馬台長城を攻めまくる』に変わってしまい、観光客が全然足を踏み入れていないと思われる場所まで(かなり遠くまで)攻めこんでしまった。


司馬台へ行ったことがある方はご存知だと思うが、司馬台の深い場所は長城の両脇が完全に崖。つまりは大変危険。手すりやその他安全装置など皆無、幅30cm-40cmくらいの城壁の上を四つん這いになりながら前に進むという、命がけのまるで何しに来たかわからない状況も余裕でぶち当たる場所なのです。


そして、奥に進むにつれ、完全に度胸試しになってしまい。気がつけば全員万里の長城を攻めることにヒートアップし、とうとう日が暮れてしまった。夜に城壁の上を這いつくばって戻るのはあまりにもリスキーすぎる。。。そして全員愚かすぎる。。。



『帰れねぇ。。。』

気がついた時。
まるで、先の大戦で戦線が伸びきり補給が断ち切れた東南アジア戦線の旧日本軍兵士のような絶望感がぼくを襲った。


近くの見張り台だったと場所だと思われる小さな建物で暖を取る事にし、仲間とともに朝を待つことにした。


その仲間だが、バングラディッシュ人など、全員が雪が降らないような暖かい地域の出身者で、雪や寒さに対してかなり舐めた主観を持っていると思われる人たちの集まりだった為、見張り台で一晩を過ごすと決めてからの最初の1時間くらいは意味のない猥談等で過ごすことができました。が、寒さが本格的に深まっていくにつれみんな無言になり、後悔の念ばかりが渚の波の如く数秒ごとに頭の中を占拠していくだけでした。


仲間が持っている全ての食料は、ぼくが持っているスニッカーズ1本のみ。水は各自ペットボトル1本ぐらいは持っていたと思うが、寒さの余り飲むきにもなれない。

真っ暗な中、見張り台から見える長城の姿はまるで巨大な漆黒の龍が山に横たわっている様で壮観であった。
そして、カラッカラに乾いた空気と冷たい大気は夜空の星々を一切のフィルターを通さずに見ているような気がして胸がいっぱいになった。


そして最大の問題は、クタクタヘトヘトなのに寒すぎて一切寝れない現実で寝ちゃえば直に朝になると思っていたせいか、寒すぎて寝れないという経験はこれが初めてだった。





日が昇り無事引き返すことができましたが、雪が降らなくて本当に良かった。

フェアトレードってなんだ?

今日は一日中部屋に籠ってデザインをしていた。

音楽をかけながらの作業は僕にとって余り役に立たない。というか邪魔にさえ思える。
無音で作業を進めるのも、寂しくなるので動画サイトやポッドキャストでニュースを流しながら作業を進めることが多い。
とある動画で、フェアトレードについてアメリカ人が視聴者に向けて熱弁を振るっていた。

ぼくもフェアトレードの商品をロンドンで見かけたことがある。大学の食堂で明らかに貧しそうなアフリカ人の写真のポップと一緒にフェアトレードチョコレートを売っていた。
ぼくは、購入したことはなかったけれど、なんとなく『経済格差が原因で、不当に安くカカオを買い叩いているのかなぁ?』『資本主義世界で生活しているんだからしょうがないんじゃないの?』位の事しか考えていなかった。


この熱弁を振るっているアメリカ人の主張のポイントは下記の通り
中南米では大量のコーヒー豆を生産している。
・コーヒー豆が投機的な思惑で価格が不安定。
・よって、時にはありえないくらい安価で出荷される。
・コーヒー農家の経済状況は非常に不安定なので、コーヒー豆を作る傍ら、安定的な収入を得るためにケシを栽培している。
・先進国や途上国の一部の富裕層のお陰で、彼らコーヒー豆農家はケシを栽培している。
・だから、真っ当な価格でコーヒー豆を買いましょう。そうでもしないとコーヒー豆農家はケシを栽培し続け、コカインを悪い人たちに流してお金持ちの国や地域に運ばれていく。お互い良い思いしない。

以上です。




同じような理屈で綿花やカカオも一部の人達のせいで不条理が生まれている可能性がある。

ぼくはあまりコーヒーを飲まないのでコーヒー豆を買うことは無いだろうが、フェアトレードの商品があれば、今度手にとってみようと思う。


然しながら、日本にはフェアトレードの商品は少ないね。というか見たことがない。

都会には、なんかフェアトレードマーケティング用語として、本来の意味からかけ離れた製品作りをした商品とかもありそうで、しっかり見極めてから購入したいと思う。

在沖米兵の強姦事件

強姦は問答無用で死刑にしたほうがいい。情緒的なジャッジには必ずマイナス要因がついて回りますが、強姦に関しては譲れない。


沖縄県内のアメリカ兵による暴行事件。
報道機関も暴行事件だなんて報道しないで『レイプ事件』『強姦事件』と報道しなさいよ。『暴行』という言葉はレイプや強姦という事実を曖昧にし当たり障りのないように使っているとしか思えない。事実を曖昧にする。

仲井真知事は防衛省に訪れて森本大臣に『米兵の強姦事件』訴えたみたいだけど、玄葉大臣もカウンターパートナーのクリントン国務長官にもそっこう抗議&対応の要求をするべきだよ。玄葉大臣は海外にいるみたいだけど、緊急記者会見でもしてポーズでもいいから、『クリントン国務長官へ働きかけている。』と沖縄へメッセージだしてよ。なにしてるんだよ。


日本の安全保障の重要な部分を担う沖縄。『県民にもっと配慮しろよ。』とか県民として県民から申し上げるのはおこがましい感じもするけど、こんな対応じゃどんどん沖縄の心がが日本(内地)から離れていく気がする。

そして沖縄独立とかを訴える人もいる。(ぼくは沖縄独立を支持する立場ではない)だけど、今日のニュースを観ていると沖縄独立を叫んでいる人たちの気持ちに、ちょっとだけ共感できた。


それから、ローカル民放TVのニュースも胡散臭い。どうして、オスプレイ反対デモをしている人たちばっかりに今回の『強姦事件』のインタビューをするのか?それが県民の声の総論として、電波に乗っかるのはあまりいい気分はしない。制作スタッフの人が足りてないのか?集会してる所ばっかりに行くんじゃないよ。
因みにNHKの夜のニュースでは待ちゆく普通の県民にインタビューしてた。


なんか、明日の朝刊(琉球新報沖縄タイムス)で県民の声として、オスプレイ反対集会に集まっている人たちのインタビューを❝でで〜ん❞と紙面に載せそうだなぁ。


沖縄。11月は荒れそうです。

台風の日に想う

沖縄は台風です。
かれこれ、12時間以上停電しています。
停電が始まると冷凍庫が機能しなくなるので子供の頃はここぞとばかりに近くのマチヤグァー(個人商店)へ行きアイスクリームを貰いに台風の中ずぶ濡れになりながらダッシュで駆け出して行ったものです。
誰からこんな乞食精神を教わったのかわかりませんが、子供ながらに台風は学校休みになるし、アイスクリーム食べまくりだし良い思い出しかありません。

そして、残念ながら近くのマチヤグァーは10年くらい前に閉店してしまい、ぼくも大人になったので台風の印象はガラリとかわってしまいました。



停電です、電力の話です。
沖縄で反原発の声があまり聞こえないのは、沖縄電力原発保有していない&福島原子力災害が地理的に遠い場所だからなのかな?と思っていました。
しかし、久々に大型台風をくらうと違った考えが芽生えてきました。

沖縄は毎年数個の台風の為に停電しまくりなのです。上記の反原発の声が小さい理由以外にも、沢山の県民が電気の有難さを十分理解しているから反原発の声が小さいのかな?なんて考えたりしました。
病院や特別養護老人ホームなど、電気無しではやってけない施設に毎回『あそこ大丈夫かな?バックアップはあとどれ位持つのかな?』とか思うが故、電気無しの怖さを実感します。



多くの県民が『たかが電気』なんてどんな文章のセンテンスに組み込める気にはさらさらならないのであろう。

反日デモについて想う事



誰もが国家があり故郷がある。ぼくは愛国者であり、毎日、世界の安定と平和を心から願っている。


ぼくには韓国のかけがえの無い友人達、尊敬に値する素晴らしい人達がいる。
中国人のかけがえの無い友人、親友、人生の師、家族同然の付き合いをしている人達もいる。
ぼくにとって彼らは日本、故郷の大切な人達と同じく代わりのいないぼくの人生唯一の財産である。




第二次世界大戦後、世界が知恵を出し合って抑止力と言う平和を維持する仕組みを構築させた。国軍を持たない日本国は残念ながら1945年夏の終戦から安全保障の根幹は立ち止まったままである。
そして、平和を謳うだけで、国軍を持たなければ現代の世界情勢の中では外交もままならず、今まで通り外圧に一方的に押し込まれてしまう事を、日本国は身を持って体験している。
勿論、新しい形の戦争(拉致と言うテロ)も今の日本は防げてはいないし、解決もしていない。よって、日本は戦争をしていない(しかけられていない)平和な国と誇り高く叫ぶのはナンセンスだと思う。
(※ぼくは人類が知恵を出し合って築き上げた抑止力による平和を守る考え方に一日でも早く日本も組み込まれるべきだと考えている)



また、日中間の対立を貴方の国粋主義がら煽る人達へもう一度立ち止まって考えてみて欲しい。
日中間や日韓、又は他の国々と国際結婚も今日の社会では多くなり、冒頭にぼくが述べた気持ちと同じような感情を抱く日本国民も数多くいるだろう。
対立を仰ぐ人達は一度自分の配偶者や家族が中国人だったらどうだろう?と考えてみてほしい?
彼らを相手に矛に手をかけることができるだろうか?それを考えただけでも胃が痛くなる。
必要以上に誰もが有する純粋な愛国心を煽ったりしないでほしい。
世界がこんなに便利で狭くなった今。明日、貴方の大切な人が突然現れその人が外国人という事だって十分あり得るのだから。




もしかすると、自分の仕事や生活の事ばかり考えるんじゃないよ。(日本国)の事を志し高く考えろ!とお叱りを受けるかもしてない。
しかし、ここで言う公とは!ぼくの中に芽生えるデコボコに膨らんだ公とは!海外の大切な友人達も含む事をここに記する。


もしかすると、どっちつかずの卑怯な訴えだと言われるかもしれない。
かなり情緒に流された訴えになるが、これがぼくの正直で真っ直ぐな気持ちである。

丹羽大使襲撃事件について

丹羽大使襲撃事件当日ぼくは北京にいた。
その日は今回の北京出張最終日であった。
犯人はどういった人間だろう?と色々な推測があるが、僕なりにあくまで推測の範囲内で考えてみる。

2台の高級車
約10年ぶりの北京は物価が恐ろしいほどに上昇していた。昔行きつけだった香港式カフェのメニュー単価は10年前と比べてほぼ倍以上。
つくづく北京の生活水準の上昇はレストランやカフェにもモロに影響しているのだと実感した次第、市内や外環路を走る自動車も圧倒的に高級車が増えていた。
昔は国産と韓国産自動車ばかりで国際貿易センター付近や建国門あたりでやっと欧州ブランドの高級車を見かけたのだが、今や街中に欧州高級車が国産自動車と同じくらいとまでは言わないが溢れかえっていた。そしてリーズナブルな韓国産自動車はタクシーくらいしか見られなかった。恐らく昔韓国産自動車を乗っていた人民が今では高級車に乗り換えているのだろうと考えると富を生み出すパワーを感じずにはいられなかった。
(ぼくとしては日の丸自動車のシェアの低さにちょっと残念な思いでしたよ。)
話は逸れましたが今回の事件で大使の乗った車を襲った2台の車は名門ブランドのアウディBMWとのこと。今ではエントリークラスの比較的手頃な車両も販売されておりますが北京の平均的なホワイトカラーでも普通にこの2台を購入するまでの経済力は持ち合わせていない。
したがって犯人は経済力又は政治的力のある人物だと推測されます。
よって北京の一般的な市民では決してない事が解ります。


公安の目
中国の都市の幾つかに滞在すると北京市内の公安の数の多さに気がつくと思います。やはり首都だからなのか、それとも経済発展真っ只中にあるせいなのか10年前と比べても公安の数は増えていると感じました。
大使を襲撃する直前、十数分に渡り犯行に使われた2台の高級車が大使の乗った車を煽ったり、幅寄せ等の威嚇行動を行っていたと聞いているので、その様子を市内に散らばった公安関係者が発見できていないはずは無く。ましてや日中間の政治レベルでの摩擦が大きく取り上げている現状で、日本国の大使が乗った車を常にマークする公安の車だってあったはずである。
それでいて、十数分に渡る威嚇や強制停車、襲撃まで公安が何もしなかったのは些か疑問が残る。


偽装ナンバープレート
犯人の車が特定された時、車のナンバープレートは偽造であった。との情報が流れた。
中国ナンバープレートは徹底的に管理されていて、中国共産党のえらい人のナンバー、軍部関係者のナンバー等、解る人が見れば一発で只者ではない人の車であると解るらしい。今回の襲撃に使用された車は恐らくこの偉い人(ぼくは党のコントロールが効かない軍部関係者筋が強いと思う)の車で、現場の公安が動こうにも動けなかった、現場の判断では対応できない状態だったのではないか?と考えています。
そして、派手に襲撃してしまい周りを走る一般車両にも犯行に使われた自動車のナンバープレートが割れてしまったので、後々、苦し紛れにあれは偽造ナンバープレートだった。と情報を流したのではないか?と考えています。

今の中南海は軍部、人民、他国からの圧力で上手い舵取りをしなければいけません。シンプルな言葉で言うと、一方の見方をすると他の一方(又は二方)の不満が高くなる状況。なので、中南海は秋の人民代表大会まで穏便に世代交代ができるのかどうかこれからも注視していきたい。

中南海は今まさに『想不通头疼,想得通心疼(なにも良いアイディアが浮かばないと頭が痛い、打開策を閃いたら心がいたい)』状況なのでしょう。