反日デモについて想う事



誰もが国家があり故郷がある。ぼくは愛国者であり、毎日、世界の安定と平和を心から願っている。


ぼくには韓国のかけがえの無い友人達、尊敬に値する素晴らしい人達がいる。
中国人のかけがえの無い友人、親友、人生の師、家族同然の付き合いをしている人達もいる。
ぼくにとって彼らは日本、故郷の大切な人達と同じく代わりのいないぼくの人生唯一の財産である。




第二次世界大戦後、世界が知恵を出し合って抑止力と言う平和を維持する仕組みを構築させた。国軍を持たない日本国は残念ながら1945年夏の終戦から安全保障の根幹は立ち止まったままである。
そして、平和を謳うだけで、国軍を持たなければ現代の世界情勢の中では外交もままならず、今まで通り外圧に一方的に押し込まれてしまう事を、日本国は身を持って体験している。
勿論、新しい形の戦争(拉致と言うテロ)も今の日本は防げてはいないし、解決もしていない。よって、日本は戦争をしていない(しかけられていない)平和な国と誇り高く叫ぶのはナンセンスだと思う。
(※ぼくは人類が知恵を出し合って築き上げた抑止力による平和を守る考え方に一日でも早く日本も組み込まれるべきだと考えている)



また、日中間の対立を貴方の国粋主義がら煽る人達へもう一度立ち止まって考えてみて欲しい。
日中間や日韓、又は他の国々と国際結婚も今日の社会では多くなり、冒頭にぼくが述べた気持ちと同じような感情を抱く日本国民も数多くいるだろう。
対立を仰ぐ人達は一度自分の配偶者や家族が中国人だったらどうだろう?と考えてみてほしい?
彼らを相手に矛に手をかけることができるだろうか?それを考えただけでも胃が痛くなる。
必要以上に誰もが有する純粋な愛国心を煽ったりしないでほしい。
世界がこんなに便利で狭くなった今。明日、貴方の大切な人が突然現れその人が外国人という事だって十分あり得るのだから。




もしかすると、自分の仕事や生活の事ばかり考えるんじゃないよ。(日本国)の事を志し高く考えろ!とお叱りを受けるかもしてない。
しかし、ここで言う公とは!ぼくの中に芽生えるデコボコに膨らんだ公とは!海外の大切な友人達も含む事をここに記する。


もしかすると、どっちつかずの卑怯な訴えだと言われるかもしれない。
かなり情緒に流された訴えになるが、これがぼくの正直で真っ直ぐな気持ちである。