生死のエッジ部分と死に近づくのではなく死を忘れる事

オリンピックです。ぼくの好きな陸上競技も始まりました。
嬉しいです!いや〜、オリンピックって本当に面白いですね。
ということで、今回のエッセイはスポーツと関係のあるトピックスを書いていきます。

         **********************************



危険な領域というものは常にモータースポーツにおいて共存し、モータースポーツと危険は紙の表裏と似た様な関係である。つまりは、紙はどんな状態下でも表と裏が存在し、表が形を変えたとしても同じく紙の裏側は表側と同じ形になり、どんなに引き剥がそうとしてもそれはできない。

そして、生と死の関係はどうだろう?
レーサーはマシンと自分の限界をコントロールする、日本人の有名ドライバーが
集中力MAXのゾーンに入ると、先ず嗅覚が無くなりそして、ゾーンの深みに突き進んで行くにつれ、聴覚が無くなり、色彩が無くなる、その後時間がゆっくりと流れて行く。そんなことを言っていた。

自転車(ロードバイク)を乗るようになってから、実はぼくもゾーンに入った事がある。
自転車でそんなスピード出るわけない。と突っ込まれそうだけど、山や丘を下るダウンヒルで本気でコーナーを攻めたら。。。ゾーンに入れるのだ。
しかし、さっき紹介したドライバーのゾーンへの深みとは順番と内容が少しだけ違っていた。

先に嗅覚が無くなり、自分の身体と車体が小さく感じる、そして色彩感覚が無くなる。
物凄く集中している事がわかる。
しかも客観的にわかる。
「あぁ、おれめちゃくちゃ集中してるなぁ。」
と、理解している別の自分がいる。
そして、心拍計の数値が一気に180/min前後まで跳ね上がる。

そこは生と死が紙一重の領域なのかな?鋭利な刃物の上(エッジ)を歩く感覚なのかな?なんて思っていたが、実は違う。そう、全く違う。
何といえばいいか、うまく言えないけど。生死の領域ってのは、時間と空間が太い。
ここから先は危険(死の)領域、ここまではコントロール下における(生の)領域の間には、ヌメっとした意外に広い領域が存在する。
恐らくプロのドライバーはその意外と広い生と死の領域で、速く走る為の選択肢が多いんだとおもう。若くは、自分とマシンの限界を冷静に判断し死と隣り合わせの走りからはどんどん遠ざかって行くのだろう。



ともあれ、この意外と広い静かな生と死の境界線にズッシリ腰を据えて腰掛け身体を預け、死を意識する走りから、死を忘れて行く感覚はクセになる。

交通ルールを守り、マナーのある運転を心がけましょうね。
飛ばす時は必ずサーキットで!